今回は、レタスのご紹介です。
和名は「ちしゃ」。茎を切ると断面から乳液がでることから名づけられた「乳草(ちさ)」がなまって「ちしゃ」になったようです。
レタスの原産地は、地中海沿岸から中近東地帯といわれています。日本には、奈良時代に渡来したらしいですが、当時は、「掻きチシャ」という非結球タイプで、しかも加熱して食べられていました。
現在、出回っている「結球タイプ」のレタスは、江戸時代の終わり頃にアメリカから導入されましたが、当時は、生野菜を食べる習慣がなく、一般に出回ることはありませんでした。
戦後、進駐軍の影響で需要が高まり、1960年代に「清浄野菜」、つまり生で食べることのできるレタスの生産量が急増しました。1964年の東京オリンピックと1970年の大阪万国博覧会で海外の食文化の影響を受けて一般にも普及していきました。
日本発祥・すさみレタス
和歌山県のレタスの生産は古く、1941年(昭和16年)に日本清浄蔬菜協会が設立されたのを機にすさみ町で栽培を開始しました。日本でのレタス栽培発祥の地です。(和歌山放送「和歌山日本一物語」より)
すさみ町は、紀伊半島の南南西に位置し枯木灘に面し、年平均気温は約17℃、年間降水量は約2,300㎜で、温暖多雨な気候は蔬菜園芸に適しています。
この地では、稲作の裏作にレタスが栽培されています。温暖な気候を利用した、厳冬期栽培です。冬に収穫されるレタスは、シャキシャキした食感の大玉レタスで、甘みやうま味があります。
〇和歌山県内のレタス産地
田辺市、すさみ町、白浜町、上富田町
〇収穫時期
収穫は11月中旬ごろから始まり、2月末ごろまで続きます。
おいしいレタスの選び方
(1)巻きがゆるくふわっとして軽く、切り口の直径が10円玉ぐらいの小さいもの
・固くて重いものは新鮮でなかったり、成長しすぎて巻きが詰まり硬くなると、苦みが強くなる傾向があります。
・切り口の直径が小さいものは、ほ場の管理がよい証拠です。味もお奨めです。
(2)レタスの芯や葉の切り口が褐変していないもの
・収穫から時間がたつと、レタスに含まれるポリフェノール色素が空気中の酸素に触れて酸化して褐変します。
・包丁で切ると酸化が急速に進みます。切るときは包丁を使わず手でちぎるのがおすすめです。
(3)葉は淡い緑でみずみずしく、弾力のあるもの
保存方法
レタスは、高温に弱く日持ちのしない野菜です。
(1)乾燥しないように外葉でくるみ、ラップをするか袋に入れて冷蔵庫の野菜室で保存しましょう。
(2)苦みがでてくるので早めに食べきりましょう。
レタスの栄養と機能性
レタスはみずみずしいだけでなく、ビタミン類・ミネラル類・食物繊維などをバランスよく含んでいいます。特にビタミンK、葉酸などのビタミンB群、カリウムなどの含有量は比較的多く含まれています。
また、脂質や炭水化物が少なく低カロリーであるため、ダイエットや食事制限などを行っている人にとってもおすすめの食材です。
紀の国の先人「サンタマリアのレタス王」
明治12年(1879)南 弥右衛門(みなみ やえもん)は、西牟婁郡江住村(現:すさみ町)に生まれました。明治38年(1905)にサンフランシスコに移住し、農業に従事。大正6年には事業主となり、レタス等の野菜を栽培しました。昭和4年(1929)に南父子農業商会を立ち上げるとレタスの生産調整をして販路を拡大し、シカゴやニューヨークまで市場を広げ、大成功したことから「サンタマリアのレタス王」と呼ばれるようになりました。
郷里の発展を強く願い、小学校に学用品、江住中学校に体育館建設費用を寄付。江住小学校には郷土の偉人を称え、銅像が建立されています。
・昭和4年(1929)南父子農業商会設立
・昭和5年(1930)南山田貿易商会設立
・昭和16年(1941)日米開戦により事業を休止
・戦後、事業を再開 長男弥太郎により、約10年で全米にレタスを出荷するようになる。
・昭和48年(1973)カリフォルニアにて没(93歳)
(和歌山県:和歌山県ふるさとアーカイブより)
〇わかやま食の総合ポータルサイト「おいしく食べて和歌山モール」